プロフィール

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特定社会保険労務士 松橋聡のプロフィールです

コンセプト(事務所理念)を決めるに至った経緯

社会保険労務士事務所を開業するにあたり、「どういう方向性、方針、特色、目的のようなものを決めて自分の特色を掲げていくことは大事なことだな」と考えていました。社会保険労務士は代書屋ですから、書類の作成(作成代行)、提出(提出代行)が主な業務です。書類の作成、提出はだれがやっても同じもの、同じサービスしか提供できません。なぜなら、役所に提出する書類の作成については全て法律(手続法)によって決まっている(縛られている)からです。

 

なので、書類の作成、提出するというサービスの提供だけでは他の事務所との差別化はできない「これだけでは既存(先輩方)の社会保険労務士事務所には到底かなわないのではない」と思いました。
開業当時は他に収入源はないので書類の作成、提出は日銭を稼ぐために当然、主力業務としてやりながら書類の作成、提出以外にわたくしの独自の事務所の特色を出していこうと考えました。

 

そもそも社会保険労務士になろうと思ったきっかけは在籍していた会社の経営が不振となり、会社と従業員の関係が悪化する中、倒産に至るまでのゴタゴタを目の当たりにして、「誰も得してない。みんなが困っている。こうなる前にもうちょっと何とかならなかったのかな。」と思ったのがきっかけです。

 

なのでここは社会保険労務士を志したころに立ち返り、「従業員と会社がは同じ船に乗っているのだから、トラブルをなくし、船長(社長)とクルー(従業員)は協力して目的の港を目指そう(協調して会社を発展・維持)」そして「会社を発展・拡大させてその果実を経営者と従業員が分かち合っていくのがお互いの利益になるのではないか」と考えました。これは今でも心の中に刻み込まれています。

 

さて、社会保険労務士としての実務経験はないのでひたすら勉強の日々です。そして、その勉強はときには実践での場でということもありました。会社の社長さまと一緒に丁寧に対応にあたり、その際には社長さまにはいろいろと教えていただきました。こうしてひとつづつ、案件に丁寧に向きあって問題を解決してまいりました。

 

あるとき、その解決のための道筋を模索していく中で一つ頭に浮かんだことは「労使紛争(従業員トラブル・労務問題発生)の解決には法律はあまり役に立たないのではないか。」ということでした。

 

そりゃそうですよね。労使紛争はつまるところは人(社長)と人(従業員)との激しい感情のぶつかり合いですから、法律という無機質なものをいくら振りかざしてもあまり効果はありません。

 

そこでわたしは法律とは関係のない本を読んだり、セミナーに参加したり、鎌倉のお寺に行って和尚さんの説法(辻説法というやつです。)を聞きに行っていた時期もありました。それが、今のわたくしの提供するサービスにどう影響しているかはわかりませんが役に立っているのではないかと自負しています。

 

このようにコツコツと勉強・実績・経験を重ねていくこと21年。お客様には本当にいろいろと勉強させていただきました。ありがとうございます。

 

今後も開業当時の初心を忘れず、一歩一歩(3歩すすんで2歩さがる)前に進んでいきたいと思います。感謝!

 

いわゆる一般的なプロフィールです。

普通のプロフィールとは異なるものになってしまいました。世間でいうところの経歴を紹介させていただきます。ただ、見てのとおり、わたくしは資格は特定社会保険労務士しか持ってなく、専門的な資格や、肩書、組織の中の地位を経験したことなどはありません。なのでわたくしは今後も特定社会保険労務士の資格一本で今まで得てきた知識・経験と実績で勝負していきます!

 

 

時 期 職 歴
平成14年8月 東京都江戸川区にて松橋社会保険労務士事務所開業
平成16年~平成20年 各年の7月 江戸川労働基準監督署 臨時労働保険指導員
平成19年4月 特定社会保険労務士の付記
平成21年6月 事務所を茨城県鹿嶋市に移転
平成26年~令和3年 各年の7月 鹿嶋労働基準監督署 臨時労働保険指導員
令和5年7月 鹿嶋労働基準監督署 臨時労働保険指導員
備 考 臨時労働保険指導員は労働保険申告時期である7月のうち1日間のみ労働基準監督署で職務を行う

 

蛇足(余計なつけたし)

 

ホームページについて
このホームページは独自ドメインの取得、レンタルサーバーの選択、webページにある記事の作成、ホームページ運営にかかわることすべてわたくし自身が行っています。なぜ、外注せず、自分自身でやっているかというとわたくしはSNSをやらないのでホームページがわたくしの唯一の主張、意見、考え方を発信する場になっているからです。そして、記事の追加、加工、変更、訂正などは自分の都合でタイムリーにやりたかったからです。